第21回 人生の計画はいつ、どのように行われるのか4

 なぜ、私が自らが作り上げた計画書や人生の目的を知ることができたかについて今回はお話したいと思います。
 それは、私の前世であるインド人の修行僧が、二十数年にわたる身を削るような厳しい修行のおかげであると感じています。
 その前世の私は、修行の中で禁欲主義的な人生を送りながら求め続けたものは、人生の流れを知り、それを効果的に間違いなく達成するにはどのようにしたらよいかという方法論を延々と指導僧や大いなる宇宙の存在に尋ね続けたのであり、志半ばで過去世の私は崖からの転落事故という結果により、その志しを来世の私に託したのでありました。
 私はまず自分の人生の使命と目的を知ることにより、今世の自分がどのように歩めばよいか、何をすればよいかを間違いなく知ることができたのであります。
 すなわち、「過去を解き明かし、未来を語り、癒す者」という使命は過去の修行僧である私が望み続けたことであり、私はその意志を引き継いだものとして、それを達成するために今世の人生を選び、それを実際におこなうという計画書を作り上げたのでした。
 しかし、前世の私はあまりにも幼い頃から神秘主義であり、精神的な世界に入りすぎてしまい、三十歳で亡くなるまで、ほとんど交わるのは修行僧と一部の人間だけという狭い社会環境であったため、確かに使命に基づいた人生を行うということはしっかりと決めていたのでありますが、その前に、充分に平凡な幼年期、青年期を送り、実際に過去世の修行僧の望みを果たすべく、人生の転換期にいたるまでは、充分にそのような平凡で楽しい人生を送ることにより、過去でできなかったことを行ない、その上で今世における最も重要なことを行なうというタイムスケジュールを作ったのでした。
 もし私が過去の修行僧にように幼い時から精神的な世界に入ってしまえば、過去と同じ人生の繰り返しとなるため、そのような人生に対して拒否感や違和感が強くでてしまい、途中で挫折することになったかもしれません。
しかし、私の父や母は、宗教に対してほとんど無関心であり、私の環境は精神的な世界とは無縁であり、実際私も神仏に対する思いはほとんどなく、二十歳までは世俗的な喜びに焦点を当てており、まったく精神的な世界に若い時から埋没することがなかったことは、今更ながらにラッキーなことであったと感じるのであります。
 もし、私の考えが浅かったなら、早く精神的な道に入るために、両親ともども熱心な宗教家であり、スピリチュアルな仕事を行ない、私もその環境の下で成長していけば早い時期から精神的な世界を知り、早い時期にそのような世界で成功を治めるといったことも考えられたでしょうが、呆れかえるほど私の父親は自分の姉が沖縄で霊能者として働いているにもかかわらず、父親は実の姉を嫌い、霊能者の姉に対して批判すらしており、私にも常々おかしな世界に入らないように、病気は医者に任せたほうがよいと教えられたのでした。
 当時私は、叔母にあたるその女性と何度か会ったことはあるものの、父親の影響でまったくそのようなことに興味をもつことなく、少年時代を過ごすのでした。しかし、薬好きな父と違って、私は全く薬に対する強い拒否反応があって、どんなに体に痛みがあったり、風邪により熱を出しても両親に怒られながらも薬は絶対に飲まず、両親をはらはらさせたりもしたのでした。
 表面的な宗教観や人生観は平凡そのものでありましたが、深い意識の中では病気やありとあらゆる人生は薬では治せないし、ましてや西洋医学という世界においては生命の根本的な治療はできないという思いは薬をまったく飲まずとも必ず体の生命力が病気や問題を治してくれるという信念があったように思います。
 そのような両親のおかげで私は充分、自分で人生の目的に気づくまで過去にできなかった両親の愛情を充分に受け、家庭的な体験をすることにより、ある程度平凡な生活の体験に満足し、納得した上で過去世の目標と使命を自らが望んで引き継ぐことができたのだと感じております。
 しかし、自分の使命や目標に気づいたとはいえ、そのことを実際にどのようにおこなったらよいか、どのように進めたらよいかなどまったくわからず、その当時は獣医師として病院を経営しておりましたので、仕事が終わった後、深夜まで、確かに行き先はわかっているがどのように進んだらよいかわからない、まるで砂漠で道に迷った旅人のように天に向かって助けを呼び続けるのでした。
 今振り返ってみても、その当時は、リスクの多い時期であったと思います。何度も投げ出したくなるようなこともあり、あるいはあまりにも辛い精神的な状態のため、もう少しこのような状態が進めば気がおかしくなっても致し方ないという状態にまでなることもありました。
 ただ必死であった、命が助かりたいために命の水を求めてオアシスを探し求めるような旅人の状態であり、一旦。オアシスが見つかったと思ったときにも、すぐそのオアシスの水は枯れてしまい、再び別のオアシスを探すといったような状況の中で、心身ともに疲れ果て、これ以上一歩も進めないという混乱と苦悩の中でようやく実際に私を導く高貴な霊の存在が深夜、私の病院の中に光として現われてくれて、私にどのように今後進めたらよいか、何をしたらよいかを教えてくれるのでした。
 その高貴な霊は私にこのように伝えました。「お前がどれだけヒーリングの世界が好きかどうかを試した。悩み苦しむ者を心から助けたいという真実の思いがお前にあるかどうか、さらにお前が自分の影の姿に気づくかどうか(影の姿というのは、その時には私には全く理解できませんでした。しかし、その後、自分には様々な弱点やネガティブな思いがあり、決して私がこのような人生を歩むことになったのは、自分の性格や資質が優れているからではなく、むしろその弱点や後ろめたさを解消するために、このスピリチュアルな道を選んだということに気づき、決して自分が優れている存在であるという傲慢な気持ちをもたないようになったということ)試され、この3つの事項を確かにクリアしたことがわかったから、今日、お前は神聖な部屋に入ることが許された」と言って、私を祝福するのでした。
 その後は私は毎晩、ヒーリングマスターと呼ばれる霊的な存在から指導を受け、今後、どの様にこの世界を進めていけばよいのかを指導され、教育されていくのでした。

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