第36回 自分には才能がないと思っている人に対して

才能の溢れているという人は、まるで大きなダムに水が満たされているようなものです。
才能のないと思う者は、ダムはあっても水が入っていないため、
他人を潤し、祝福することのできない人にたとえられます。
ダムは同じようにありながら、多くの水があるかないかで、その差ができてしまうのです。才能がないと思っている人に私は伝えます。
「私に多くの水があふれるように満たされて、その水を多くの人に分け与えられるようにしてください」と神に祈りなさい。
あなたがその様に祈り続けるならば、神はあなたに多くの恵みと祝福を与え、
恵みの雨となってあなたのダムを愛の水でいっぱいにします。
そしてあなたが神の恵みにより多くの水を得たなら、
惜しむことなく、よどみなく、その水を放出して、人の役に立つようにしなさい。
そうすればあなたは、神の恵みと愛により、才能あふれる者となることができるのです。

 多くの人が「他人と比べて自分には才能がない」とか「少な」いと言って嘆いていますが、サイババの言う才能とは、他人のために行なう能力であり、それも愛の力であるといっています。
サイババが才能のない人はどのような人かという定義に対して、
  1.神を愛する気持ちのない人
  2.他人を愛する気持ちのない人
  3.自分を愛する気持ちのない人

 それがまさしく才能がない人であると言っています。
 サイババは、様々な表面的な能力や才能よりも、この三つの愛を大切にしなさいと言います。あなたが才能あふれる者になりたいと願うならば、まずは神を愛すること。そして他人を愛すること、自分を愛することをバランスよくできるなら、あなたは間違いなく才能あふれる人間になるとサイババはおっしゃっています。
 それをこのダムの話にたとえてメッセージとして送っていただいたのですが、サイババの言わんとしていることは、ダムがあるか、なしではなく、すべての者にそれだけのダム=容量があり、そのダムに水を溜めることは我々の責任であると言っています。
 すなわち神を愛し、隣人を愛し、自らを愛するならば、そのような者は必ず神の祝福により、才能あふれる者になると言っているのです。
 ダムがないのではなく、ダムに溜める水がない人を何と言うかと言えば、才能を存分に使っていない人だと言うのです。
 才能あふれる者になるために、私達はベストを尽くして、神を愛し、隣人を愛し、自らを愛する行動に出るべきだと考えます。

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